ホリノ:ではまず、桃生さんのこれまでのことを話してもらえますか。
生まれは仙台だけど、小中高は福島で過ごしたんですよね。
桃生:幼稚園の途中からいわき市ですね。父親の転勤が理由です。
いわきって、福島の南にあってわりと東京に近いんですね。高校はいわきの中でも進学校に通っていたので、大学進学というのが当たり前の環境でした。で、半分ぐらいは東京志向。やはり東京にあこがれがあるんですよね。私は天邪鬼だったので、そういうのがあまり好きじゃなかった。みんな東京(南)なら、自分は北へ行こうと。それで一度、生まれ故郷の仙台に戻って、予備校に通い、岩手大学に入りました。
ホリノ:どんな子どもだったんですか?
桃生:小学校ぐらいまでは学級委員をやるような、優等生タイプ。でも中学校ぐらいからあやしくなってきて。クラブチームでサッカーをやっていたんですけど、勉強はやらなくなっちゃった。なんとか、高校は受かったんだけど。
熱血が苦手で、中学校ぐらいから何か心の中がダークな感じになっちゃって、「人っていつか死ぬんだ」みたいなこと考えたりして。ネクラな子でした。
ホリノ:そんな子が、岩手に行って大学生になった。
今回桃生さんとトークするにあたり、いろいろ調べたんですよね。
ネットで「桃生和成」って検索かけたりして。そうしたら、桃生さんが大学のゼミで書いた報告書が出て来たんですよ。当時大学4年生だった「桃生くん」が何やらイベントをやって、その後に書いた実施報告書がネット上に残っていた。学生時代から報告書を書くようなイベントをやっていたんだ、と驚いたんですけど。
桃生:それまでの暗い高校時代とか予備校時代の後、おしゃれなもの、音楽や映画、アートなど、そういうものに時間をいっぱい使うようになったんです。
その中で好きだったのが、友部正人さんというミュージシャン。
それで、友部さんを大学に呼んで、詩の朗読とライブをやってもらおうと考えました。岩手大学の構内に、学生にもあまり知られていない歴史的な建物(農業教育資料館)があって、その中でライブをしてもらうという企画を考えて、大学の助成金プログラムに申請した。そうしたら、OKですよと。
それが、初めてのイベント運営体験でした。100人呼ぶことにしてしまって、初めてにしては規模が大きすぎたんですけど。でも、イベントをゼロから作っていくというのが、すごくおもしろかった。友部さんをリアルタイムで聴いていた世代の方や地域の人たちとの出会いがあって、こういうことから人のつながりって出来ていくんだなあ、というのがわかりました。
ホリノ:失礼ながら僕は友部さんって知らないんだけど、有名な人ですよね。
その人に、岩手に来てくださいって言って、簡単に「はい、いいよ」ってことになったんですか?
桃生:よくライブに通っていたんですよ。仙台や盛岡で。
そこで友部さんとちょっとお話をする機会があったり、ライブを企画している人とも知り合いだったので、大学での企画を相談したら、来てもらえることになったんです。
ただ資金の問題がありました。
会場にした農業教育資料館という古い建物は、国の指定文化財だったんです。それで、建物内では金銭の授受をしちゃいけなかった。それと、大学からの助成金は制約があり使途が限られていた。
そこで、フリマをやったり、寄付を集めたりしてなんとか資金を集めました。集めた資金は、小銭もそのまま、全部友部さんに渡しました。
そんなことを大学生の時にやって、友部さんとは今も交流が続いています。